あれは、たしかに俺の初恋。
















それを聞かされたのは、あの場所を巣立って9年目のことだった。
たぶん意図しないで無意識に吐き出された言葉なんだろう、なつかしそうにそのころからの悪友、宍戸がつぶやいた。


「そういや、先生結婚して仕事辞めるらしいぜ」


瞬間名前に反応して心がどくんどくんと音をたてる。
まるで早鐘のようにうちつける俺の左側。

となりでジローも目を覚まし「えーそうなのー俺センセイ好きだったのに...かなしー」とうなだれている。

俺は、だっせぇ動揺を悟られないようにあいまいにうなづきうそぶいた。


「ふーん」





目の前をあの日のがよぎっていく。
 といいます。今日からみんなと一緒に楽しくやっていきたいのでよろしくお願いします。あと、先生新人なので分からないところもたくさんあるけどみすてないでくださいね」


上品に束ねられたストレートの髪がはらりと風に吹かれたのを昨日のことのように憶えている。


そのころもやっぱりとなりで寝ていたジローは、いきなり身体をゆすられて「寝ないで!ジローくん!」って起こされてだだこねてたっけ。

でも、意識がはっきりしてきての姿を確認するとアイツ急に目を輝かせて「先生、新しい人?」ってまとわりついたんだよな。


そう、はジローが一目で気に入るほど綺麗で優しそうなおねぇさんだった。


そのころの5歳のガキの俺たちにとって、は氷帝学園幼稚舎のアイドルで一番理解のある先生でもあって



誰にも言えなかったけど



俺もかなり憧れてた。



「けいごくん、もう英語はなせるんだ、すごいねー」


そう言って頭を撫でてくれたは。
忙しい母親と父親に満足に触れたこともない俺にとって新鮮で嬉しくて心を許せた。

もちろん、がまだ若いってのもあったと思う。
とにかく俺はジローや宍戸と共にのそばにいたがった。


ききわけのいいコ、さすが跡部さんの子供。

そんな仮面をの前ではみせたことがなかった。

すげー手のかかるガキだったと思う。

校外学習の帰り道も外あそびの時間も
迎えに来てくれるのも手をつなぐのもじゃないとイヤだって不機嫌になった。

他の先生をにらみつけてていこうした。
俺は、子供なりにをどくせんしたかった。


「ねー、跡部!跡部!いまからさ、先生のところにいってみようよ」

犬みたいにはしゃぎながらジローが言う。
宍戸も「しょうがねーな」ってカッコつけてるけど異議はないようだ。


そう決めると俺たちは足早に同校内のはずれにある幼稚舎にむかった。
同じ敷地内にあるのに9年間いけなかった場所。

みどりいろのフェンスがすでになつかしい。

ブランコにタイヤ、すなばにすべりだい。

まどにはった目印のきいろのぞうさんも健在している。

すべての場所で交わしたとのやりとりがあふれて止まらない。




そんななつかしさに包まれた俺たちに、あの、変わりないやさしい声がひびいたのはそんなときだった。


「けいごくん?じろーくんも、亮くんもいっしょなの?」


疑問を残したその声にふりかえる。


目の前にあらわれたのは、9年たったと思えないあのころとほとんど変わらない


心臓が再び早く打ち付けてくる。

テニスのラリーのような激しい応酬に息がうまくできない、何も言えない。

「わー先生ーひさしぶりー」

俺をほってジローは、いきおいよくに抱きついた。

「わっ、ジローくんおおきくなったねー」


でも、このふわふわわたあめさん。はかわらないのね、と笑いながらジローの髪をなでる
うれしそうにこたえるジロー。

なにも変わらない、むしろスリップしたような心地いいかんかくが全身をつつんでいく。


そんなさなか、宍戸の声が俺を、俺たちを現実に引き戻した。

「先生、結婚するんだって?」

宍戸の問いにジローにかくれるようにおさまっていたがくぐもったような声をだす。

「う...うん、まぁ...」

にえきらない声。

ジローは、あいかわらずにだきついたまま「そんなの俺、チョーかなしー」となげいている。

「それより、聞いてるよ!みんなのこと!あのテニス部でレギュラーなんだって?とくにけいごくんは部長もしてるんだって?スゴイねーなんか先生、鼻高いなー、そんなみんなを送りだせて」


話題をかえるように早口で告げては愛想笑いをした。

トツゼン変わった話に宍戸はあぜんとしている。

カンのいいジローは「先生どうしたの?」なんて直球勝負をいどんでいる。

が話をしたくないのは明らかだった。

だけど、俺はそれを笑って見逃せるほど心中おだやかではいられなかった。

分かっていながら再び話を戻す。

「結婚、したくねーのか」

逃げられないような物言いにはジローの中で少し肩をふるわせ、ゆっくりと口を開いた。


「うん...望んでるわけじゃないんだ...私ね、まだ子供たちを一緒にいろいろしたいの。ジローくんやけいごくんみたいなたくさんの子供と一緒にいたい


ねぇ、けいごくん。おぼえてる?


卒園式の日、泣く私に言ってくれたよね。むねはって。おにいさんらしく。




『泣くなよ、おねぇさんなんだから泣くな』って。




私すごくはげまされたんだよ。だから、入学式に電報だしたんだ。みんなは私にとってのはじめての生徒だから」



桜の木の散る中、広く白い体育館で読み上げられた電報を思い出す。

予期していなかったあのうれしい言葉は、あの何気ない言葉への返事?


『ご入学おめでとうございます、おにいさんおねぇさんになったみなさんのご活躍を期待しています。氷帝学園幼稚舎 教諭  


ざわめきゆれた体育館。

ガラにもなく緊張していた俺の心をあったかくしてくれたあの言葉。

こみあげてきたものに口が上手くあけられない。
ふるえるだけののど。


きづけばするすると違う言葉がこぼれていた。






「俺、のことずっと好きだったよ、ずっと」






宍戸が後ろで息をのむ音だけがやけに大きく耳に届く。



ジローから離れたは少し笑ってこぼした。

「嬉しいな、そんな風に思ってくれて」

さらり、かわされてはまた話をはじめた。


まうしろでは卒業を祝ううすべにの花がみをつけはじめていた。






































追記。



お昼寝タイムにみた夢(まんまではないけれど、多少アレンジ)
はじめは失恋でした。





image song 宇多田ヒカル 『SAKURAドロップス』






up date:2003.06.05